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高槻城跡

ページID:004558 更新日:2024年1月9日更新 印刷ページ表示
高槻城跡
名称 高槻城跡(たかつきじょう あと)
所在地 城内町・野見町・大手町他
時代・概要 江戸時代 城跡
備考 高槻城跡
昭和25年5月、府の史跡に指定

石垣基礎に組まれた梯子胴木

石垣基礎に組まれた梯子胴木の画像

高槻城は、南北朝期の入江氏の居館に始まり、永禄12年(1569)に和田惟政が城としての基礎を固め、天正元年(1573)に高山右近が町屋を城内にとりこんで堅固な城郭を築きました。また右近は熱心なキリシタンで、キリスト教を手厚く保護し、天主教会堂を拠点に布教をすすめてたと伝えられています。
江戸時代、北摂唯一の城郭として重要な役割を果たした高槻城。大坂夏の陣ののち元和3年(1617)、江戸幕府による直営改修工事が行われ、慶安2年(1649)には永井直清が入城、以後13代、幕末まで高槻藩3万6千石の譜代大名永井家の居城となります。明治7年(1874)に京阪間鉄道建設のため石垣が破却され、用材として使われました。
発掘調査によって、軟弱な地盤での石垣築造を可能にした梯子胴木(はしごどうぎ)や強固な土手を築く工法など、江戸時代の高度な土木建築技術が明らかにされています。また武家屋敷跡では、親井戸の水を竹筒で何か所にも配水する上水道もみつかっています。多数の陶磁器や漆椀にまじって羽子板や将棋駒、人形なども出土しており、当時の生活や風俗をしのばせる貴重な資料となっています。

永井神社に奉納された高槻城絵馬(明治11年 野見神社蔵)

永井神社に奉納された高槻城絵馬(明治11年 野見神社蔵)の画像

明治7年に破却された城をしのんで奉納されたものでしょう。三層の天守をはじめ、城内の様子が丁寧に描かれています。